アクロポリスの入り口南側(入ってゆく時には右手に見える)に立つアテナ・ニケ神殿。上の写真は、アクロポリスの南側ふもとから撮影したもの。
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| アクロポリスの麓から見た神殿の後方(修復中の写真) |
神殿が立っているのは、ミケーネ時代に入り口を守っていた要塞の上。
神殿の建設が決定されたのは前449/8年で、パルテノンの建築家の一人カリクラテスに委嘱された。しかし、その後、アテナイの政治的な混乱、ペロポネソス戦争のため、実行が遅れ、実際に建築が始まったのは前426年ごろ(前430年、前427年との説もある)で、奉献されたのは前425/4。
前面に四本の円柱が配されたイオニア式神殿。外側四面にはフリーズが巡らされている。東側はオリンポスの神々、南側はギリシャ人とペルシャ人の戦い、他の二面にはギリシャ人同士の戦いが描かれている。ペディメント(破風)にはギガントマキア(神々と巨人との戦い)とアマゾノマキア(ギリシャ人とアマゾン族の戦い)の彫刻があった。
神殿の中には、木製のアテナ・ニケの像が安置されていた。この像は現存しないが、右手には兜、左手には柘榴(もしくは柘榴の枝)を持っていたことが知られている。
神殿後方には、安全のために大理石製の手摺りが設けられていた。アテナやニケが彫られたこの手摺りは現在、新アクロポリス博物館で見ることができる。複数の彫刻家の作だが、リーダーはアゴラクリトス。
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| アクロポリスの入り口から見た神殿の後方(修復中の写真) |
神殿は四段の基台(クレピドマ)の上に立ち、一番上の段の大きさは約8.3m x 5.6m。ケラの大きさは約3.8m x 4.1m。
前方に並ぶ円柱はすべて一本石でできており、高さは約4m。
この神殿の下からは、紀元前6世紀に遡ると見られる小さな神殿の基礎部が発見されている。同じ場所から発見された碑文から、この神殿もまたアテナ・ニケに捧げられていたことが分かる。
ヴェネツィア軍がアクロポリスを包囲した1687年、要塞を守っていたトルコ軍はこの神殿を崩して、それを建材に防衛壁を造った。ギリシャが独立した19世紀に、神殿は組み立てなおされたが、20世紀になってから補強工事のために再び立て直された。2010年まで大規模な修復工事が行われていたが、2011年の初めに完了した。。
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| アクロポリス、右の端に立つのがアテナ・ニケ神殿 |
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| 修復中だった当時のアテナ・ニケ神殿 |
参考文献
- G. Papathanassopoulos, The Acropolis : A New Guide of the Monuments and Museum, Athens : Krene, c1991 (2002 reprint), pp. 32-34.
- Christopher Mee & Antony Spawforth, Greece. An Oxford Archaeological Guide. Oxford/ OUP, 2001, p. 50-51
- Acropolis Museum : Short Guide. Text by Dimitrios Pandermalis et al. Athens : Acropolis Museum. 2009, pp. 42-43.
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