
フィロパッポスの丘には、この巨大なモニュメントが立っている。
ガイオス・ユリオス・アンティオコス・フィロパッポスはコンマネゲネ王家の最後の生き残りであったが、ローマによってアテナイに追放された。フィロパッポスはアテナイで偉大な与恵者となり、ローマの代理コンスルの位も獲得した。
この墓廟は後114年から116年、おそらく彼の家族によってつくられた。基台プラス二層の構造になっており、下の層にはフリーズが、上の層にはフィロパッポス自身と彼の二人の父祖(彼の祖父で最後のコンマゲネ王アンティオコス四世エピファネスと王朝の創始者セレウコス一世ニカノル)の像がニッチにおさめられていた(セレウコス一世のものは現存しない)。フリーズは四頭立ての馬車に乗った執政官としてのフィロパッポス(109年)と、それを取巻く先導吏などが彫られている。
現在は、オリジナルのファサードの三分の二程度しか残っていない。本来、この後ろに墓室があったのだが、それは床部分を除き完全に破壊されている(左の写真)。1436年にアンコーナのキリアクスがアテネを訪れたときには、まだ完全な状態だったと言っているので、破壊はそれ以降に起きたことになる。