哲学者プラトンのアカデミアの遺跡は、アテネの中心部からはちょっと離れた所にある。
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右の地図で言うと、地図の中に二つある公園(緑色の部分)のうち左側の大きい方がそう。
最寄の地下鉄駅はメタクシウルギオかケラミコス。歩いて20分程度で到着する。バスで行く場合は、オモニアから051番「アカデミア・プラトノス」行きに乗ると近くを通る(ただし、遺跡が終点ではないので注意)。

この遺跡、1966年に発見された碑文によって、アカデミアの跡であることがはっきり同定されているのだが、保存状態はあまりよくない。現在は公園になっていて入場料は要らないが、その代わり、解説や標識はほとんどない。私たちは、公園の南の方から北に向かって歩いた後、少し戻って東に向かい、公園の外側にあるペリパトスを見るという順番で見学した。
左、下、そしてトップの写真はいずれも、公園の南側に位置する「ギュムナシオン」(体育訓練所)と考えられている建物の跡。建造されたのは、ヘレニズム後期か、ローマ時代初期。

トップの写真に写っている部分が一番保存状態がいいのだが、私たちが訪れた時には、酔っ払った移民の一団がたむろしていたので、万が一のことを考えて近づくのはあきらめた(写真を撮っていたら睨まれた)。日曜日だったので、楽しくお酒を飲んでいただけだと思うのだが、酔っ払いは何を始めるか分からないので、避けるのが無難。
アカデミアはプラトンが教えた場所として有名だが、教育施設としてはプラトン以前から存在した。「アカデミア」という名前も、神話時代の創始者ヘカデモスに由来するとされている。プラトンがここで教え始めたのは前380年代の後半。

右側、風呂桶のようなものは石棺。一箇所にまとめて、柵で囲ってあった。こうした墓は、街道沿いに並べられていたのだろう。
アテネとアカデミアは、
ケラメイコスのディピュロン門から続く一本の道で結ばれていた。アテネの中心部からモナスティリウー通りを歩いてくると、聖ヨルギオス教会の周辺に、この道の遺跡が露出している部分がある。

こちらは壁の遺跡。私のガイドブックには、前六世紀にヒッパルコス(アテネの僭主ペイシストラトスの息子)が聖域周辺に建造させた壁の一部が残っていると書いてあるので、たぶんこれのことだと思う。

その近くに残っている遺跡。屋根がある上、柵で囲まれているので、近づくことは出来ない。
ガイドブックには、この辺りに幾何学文様時代(前8〜7世紀)のヘローオン(英雄を祭るための祭壇)が残っているとあるので、恐らくこれがそうなのだと思うが、なにしろ中が見えないのではっきりしない。また、青銅器時代初期(前3000年期)の住居の跡も見つかっているらしい。この近辺で見つかった最も古い居住の跡は新石器時代に遡り、アクロポリス周辺と並んで、アテネで最も古くから人が住んでいた場所である。

そこから少し北の方向に向かって歩くと、神殿だったのではないかと思われる大理石の石材がたくさん散乱している。右に写っているのは、ほんの一部。

これは、プラトンやアリストテレスが歩いたとされる遊歩道「ペリパトス」の遺跡らしいのだが(異説もある)、土や草に埋まっていて、建物の構図がはっきりつかめなかった。

上の写真に写っているエリアの真ん中辺りにあった、井戸の口のようなもの。横には大きな水瓶のようなものもあった。
かなり考古学やプラトンに深い興味がある人向けの遺跡だと思う。
参照文献
- Robin Barber, City Guide: Athens (Blue Guide), fifth edition, London/ A&C Black, 2002, p. 182-185.
- John Freely, Strolling through Athens. London : Tauris, 2004, p. 303-308.
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