
プニュクスの丘のふもと、アポストルー・パヴルー通りを南の方に歩いて行った時、右手に見える、通称「カリロエの泉」。柵があって、これより近づくことはできない。
ペイシストラトス家の僭主時代(紀元前六世)、アテネの人口が増加したため、飲み水を供給するため、ヒメットス山から水を引く大規模な工事が行われた。ここには、水汲み場が設けられ、穴の入り口を入った中に、浅い井戸が設けられていた。内部には、ハドリアヌス期のモザイク床が残っているそうだが、ご覧の通り閉まっていて、見ることはできなかった。
二十世紀の初め、ドイツの考古学者がこの泉を「カリロエの泉」と同定した。現在では、本当のカリロエの泉は、オリンピアのゼウス神殿の近くにあったと考えられている。
参照文献
現地にあった案内板を参照しました。
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