アテネの歴史
6 古代末期(三世紀から六世紀)
三世紀
267年、ヘルリ人がアテネを略奪、破壊する。四世紀
アテネは哲学の中心地として栄える。将来皇帝となるユリアヌス、将来司教となるカエサレイアのバシレイオス、ナズィアンゾスのグレゴリオスもここで学んだ。396年、ゴート王アラリックがアテネに攻め込む。この時もアテネは被害を受けたに違いない。
五世紀
アテナ神殿であったパルテノンが、神の母マリアに捧げられた主教座教会になる。ヘファイステイオン(テセイオン)、エレクテイオン、オリュンポスのゼウス神殿も、教会として利用されるようになる。
六世紀
皇帝ユスティニアノス(在位527-565年)、529年にアテネの哲学学校を閉鎖。異教徒であった哲学者たちは、アテネから立ち去る。
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