ギリシャの歴史
6 古代末期(三世紀から六世紀)
267〜270年、ゴート人の一派ヘルリ人の侵入によって、ギリシャ本土の各地が被害を受ける。
三世紀の半ば以降、ギリシャの都市で、再び市壁が整備され始める。アテネ(三世紀の市壁)、ディオン、スパルタのものがその例である。ディオクレティアヌスが敷いたテトラルキア体制で、ギリシャは副帝ガレリウス(305-311)の管轄になった。首都はテッサロニキに置かれ、ガレリウスは「ガレリウスのアーチ」(300年前後)を建設した。
四世紀の末には、アラリック王に率いられたヴィシゴートがギリシャに攻め込み、中央ギリシャからコリントまでを荒らした。
五世紀になると、古代の建造物が教会などキリスト教に関連した建物に転用され始める。アクロポリスのパルテノンや、テッサロニキのガレリウスのマウソレウム(ロトンダ)が教会に転用されたのはこの時代。
皇帝ユスティニアヌスはバルカン半島防衛のため、いくつもの要塞を築いた。ニコポリスの市壁やアクロコリントの要塞は、六世紀頃の建造である。
六世紀の末、スラヴ人とアヴァル人が北ギリシャを攻撃して、597年にはテッサロニキを襲った。スラヴ人は南下を続けてペロポネソスを占領し、半島南部は13世紀の末まで彼らの支配下にあった。
戻る
