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アポッロ・メディクス・ソシアヌス神殿
[所在地] ローマ ラツィオ イタリア Roma Lazio Italia
マルケッルス劇場とオクタウィアのポルティクスのすぐ近くに位置する、帝政初期の神殿跡。現在はコリント式の柱三本とエンタブラチャーの一部しか残っていない。これらも、1926-1928年に発掘された後で建てなおされたもので、場所も多少動かされている。下部の凝灰岩とトラヴェルティーノ岩の基台は現代のもの。柱はルナ(ルーニ)産大理石でできており、幅の広い縦溝と狭い縦溝が交互に彫られている。フリーズには牛の頭とオリーブが彫られている。
建築を始めたのは、マルクス・アントニウスの支持者だったガイウス・ソシウス(スエトニウス『ローマ皇帝伝 アウグストゥス』17)であるため、この名前がある。ユダエアで挙げた戦勝に対し、前34年に凱旋将軍の名誉を与えられた彼は、その権利に基づいてアポッロ神殿の建設に着手した。アウグストゥスがパラティヌス丘に建築してたアポッロ神殿に対抗しようとしたものと見られる。その後、ソシアヌスはアクティウムの海戦でアントニウス側に立って戦ったが、アウグストゥスから赦免を受けた。神殿を完成させたのはアウグストゥスである可能性が高い。
しかし、この場所におけるアポッロ崇拝は、恐らくもっと昔に遡る。ローマで疫病が流行した後、前433年に元老院決議が、「治癒者アポッロ - Apollo Medicus - 」に捧げた神殿を建立することを決議。前431年、ユリウス・カエサルの先祖に当たるグナエウス・カエサルにより奉献されている。その後も、破壊と再建を経験している。
セルウィウスの市壁のカエメンタリス門を出てすぐの場所にあり、ポメリウムの外に位置することから、凱旋認定などポメリウム内では扱えない案件を審議するための元老院議事がしばしばこの神殿前でおこなわれた。
参考文献
- 青柳正規 『皇帝たちの都ローマ』(中公新書) 中央公論社 1992年、97-99頁
- Amanda Claridge, Rome. An Oxford Archaeological Guide. Oxford/ Oxford University Press, 1998, pp. 245-47.
- Filippo Coarelli, Roma (Guide Archeologiche Laterza), Roma-Bari/ Laterza, 2001, pp. 326-327.
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