『イタリアへの扉』 >
ローマとラツィオ >
カストレス神殿
[所在地] フォロ・ロマーノ ローマ ラツィオ イタリア Roma Lazio Italia
フォロ・ロマーノの南側、バシリカ・ユリアとウェスタのアトリウムの間に立つ。現在は高い基壇の上に円柱三本とエンタブラチャーの一部しか残っていない。これも現代になってオリジナルの断片に現代の材料を加えて再建したもの。
ローマ人は、この神殿を「カストレス神殿」と呼んでいた。祀られているのは、カストルとポルックス(ギリシャのディオスクロイ)であるが、カストルの名の方を優先して複数形カストレスとしたものである。
前14年か前9年の火災で焼失していた神殿を、アウグストゥスの命令で、後継者に指名されていたティベリウスが再建した。6年に完成し、テリベリウスは弟ドルススと共に奉献式を祝った。
最初のカストル神殿は、タルキニウス・スペルブスとラテン人に対する戦いの後、前484年に奉献されたもので、その後、前117年にはルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクスによって、前73年にはウェッレス(キケロが弾劾したシチリア総督)によって修復された。
神殿の基壇は、幅32メートル、奥行50メートル、高さが7メートルあり、前には階段が設けられた。この正面階段は、演説のためのロストラとしても使われることがあった(Coarelliはこの説に反対している: infra, p. 88)。基壇の核はコンクリートで、周囲に火山岩のブロックを重ねている。ただ、円柱の立つ部分だけには、トラヴェルティーノ岩が使われている。前面と背面には八本、側面には十一の、カッラーラ産大理石でできたコリント式円柱が用いられた。それぞれの高さは14.8メートル。
階段の下の部屋か内陣の前に度量衡の基準を示す計量器が置かれ、度量衡管理所の機能もあった。
キケロは、ウェッレス弾劾演説の中で、元老院がしばしばこの神殿で召集されていたことに言及している。また、前80から前74年の間におこなわれた補修工事にも言及している(マルクス・トゥッリウス・キケロ「ウェッレス弾劾、第一回公判弁論・第一演説」49-50)。
参考文献
- J.B. Ward-Perkins, Roman Imperial Architecture (Integrated Second Edition), Harmondsworth/ Penguin Books, 1981 (First edition in 1970), p. 39.
- 青柳正規 『皇帝たちの都ローマ』(中公新書) 中央公論社 1992年、142-144頁。
- Amanda Claridge, Rome. An Oxford Archaeological Guide. Oxford/ Oxford University Press, 1998, pp. 91-92.
- Filippo Coarelli, Roma (Guide Archeologiche Laterza), Roma-Bari/ Laterza, 2001, pp. 87-88.
ページ・トップに戻る