アウグストゥス時代、前18年から12年の間に建造された、ガイウス・ケスティウス・エプロの墓。基底部の一辺は長さ30メートル、高さは36.4メートルある。表面にはルナ産の白色大理石がはられている。
西側と東側に、以下のような碑文が刻まれている。

Septemvir epulonumというのは、ユピテルのため、公的な宴会を催す役割を持った七人の国家神官のこと。
東側には、これに続けて小さな文字で以下のように刻まれている。
Opus apsolutum ex testamento diebus CCCXXX arbitratu (L.) Ponti P. f(ilius) Cla(udia tribu) Melae heredis et Pothi l(iberti)この碑文から、このピラミッドは、ケスティウスの遺言に則り、彼の遺産相続人の一人と解放奴隷一人の監督の下、330日間を費やして建造されたことが分かる。
さらにその下には、より大きな文字で以下のように刻まれている。
Instauratum an(no) Dom(ini) MDCLXIII
これは、1663年教皇アレッサンドロ七世がおこなった修復に言及したものである。この際、アレッサンドロは周囲の発掘も行い、二つの像の台が発見された。そこには、これらの像が、奢侈禁止令のため墓の中に入れることのできなかったアッタリクム(もしくは、複数形でアッタリカ)と呼ばれるペルガモンの織物を売却して得た金でつくられたことが記録されている(CIL VI 1375, ILS 917a、カピトリーニ博物館蔵)。奢侈禁止令が発布されたのは前18年であること、遺産相続人の一人になっているマルクス・アグリッパが前12年には死去していることから、ピラミッドが建造されたのはこの間のことだったと年代同定できる。
後三世紀には、アウレリアヌスの市壁の一部として取り込まれた(一番上の写真に見えている壁がそれ)。