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デロス島の歴史

デロス島に最初に人が居住したのは前二千年代に遡るが、その後、継続した占拠が行われたのかどうかは不明である。ミュケーネ時代である、前1580年頃から1200年にかけては比較的大きな集落が港の周辺に発展した。前1100年頃にミュケーネ文明が没落すると、小アジアからイオニア人がエーゲ海に進出する。ホメロスが『オデュッセイア』を書いた前700年頃、デロスはイオニア人の宗教的中心地として知られていた。

七世紀終わりごろにはナクソス人がデロス島を事実上管理したらしく、多くの建造物を建て、重要な奉納物を贈っている。六世紀には、パロスがデロスに勢力を伸ばし、サモス島の僭主ポリュクラテスが覇権を握ったこともあったが、やがてアテネが台頭してきて、前540年には、島の清めと称して、アポロ神殿から見える場所にあった墓のすべてを別の場所に移している。

前478年、ペルシャ戦争を勝ち抜けたアテネは、外敵からの攻撃に備えることを目的に、ギリシャ都市の同盟を結成し、その本拠地をデロスに置いた(デロス同盟)。島には、ギリシャ都市が持ち寄る献金が保管され、これをアテネが管理した。しかし、前456年、アテネは同盟の金庫をアテネに移し、アクロポリスに収蔵した。ペロポネソス戦争中、疫病に見舞われたアテネは、宣託を実行するとして、デロスで二回目の清めを行った(前426年から425年の冬)。この際、デロス島の墓はすべて開かれ、遺骨のすべては隣のレニア島に移された。また、デロス人は、島で死ぬことと子供を産むことを禁じられた。その後、アテネは100年間、デロス島の支配を続ける。

前314年、マケドニアのアンティゴノス・ゴナタスがアテネ人をデロスから追い出し、島の独立を宣言した。その後、デロスは、アンティゴノスが創設した「島民連合」の文化的中心地となり、島はデロス島民から選出される公職者ヒエロポイオイによって統治された。アンティゴノスの息子デメトリオス(・ポリオルケテス)の後には、エジプトのプトレマイオス一世と二世がデロスの庇護者となった。エジプト艦隊がマケドニアとロードス連合の艦隊に敗れると、島は再びマケドニアの影響下に戻った。この時代のデロスは、宗教的な中心地から、重要な商用港へと発展を遂げる。第三次マケドニア戦争でマケドニアがローマに敗れると、前167年、ローマは同盟国だったアテネに島の支配権を委ねた。その際、ローマ元老院はデロス島民を立ち退きを命じ、島民は、アカイア同盟諸都市に市民として迎え入れられた。そして、アテネはアテネ市民をデロスに入植させ、島を支配した。その後、ローマ人もデロスに入植したらしく、前130年ごろには、デロス島の行政は、デロス在住のアテネ市民だけではなく、デロス在住のローマ人と共同で行われていた。

167年に設立された、デロスの自由港は多くの商人を引き付けた。特に、146年、ローマがコリントを破壊してからは、デロスの商用港としての価値は大幅に上昇した。また、前129年、ローマ属州アジアが組織されると、イタリアと小アジアの間の貿易量は増大し、その中継港としてデロスは大いに繁栄した。その繁栄は、前120年から前89年の間が頂点だったらしく、現存する奉献碑文の量が極めて多い。デロスには、イタリア人、エジプト人、シリア人、パレスティナ人、ユダヤ人が移り住み、アテネの植民市としての色彩はどんどん薄れていった。二世紀の後半から一世紀初めにかけての島の人口は、25,000人ほどではなかったかと推定されている。

前89年に始まるミトリダテス戦争で、アテネがミトリダテス側についたのに対し、イタリア人が多く住んでいたデロスはローマ側についた。このため、デロスは、アテネ軍と、ポントス軍によって二度攻撃され、多くの住民が虐殺された。第三次ミトリダテス戦争の最中である前69年には、ミトリダテスに組した海賊のアテノドロスがデロスを略奪し、多くの住民を奴隷として売り飛ばした。戦争の後も、デロスはアテネの支配下に留まるが、多くの住民を失ったせいもあって、以前の繁栄を取り戻すことはなかった。

ローマ帝政期を通じ、デロスの人口は減少を続けたようである。ハドリアヌス帝は前316年以降祝われなくなっていたデリア祭を復活させようとするが、失敗に終わった。三世紀までにキリスト教徒の共同体が形成され、司教がおかれたことが知られているが、これはデロスの共同体が重要だったためではなく、島のかつての名声の故であったようだ。いくつかのバシリカ型教会も建築された。

島は、727年、イザウリアのレオ帝の軍隊により、763年にはスラブ人により、821年にはクレタ島からやってきたサラセン人から略奪を受けた。島はその後、ヴェネツィア共和国の手に渡り、ヴェネツィアはさらに、ミコノス島の領主の一人に譲り渡す。1329年には、マルタからやって来た、聖ヨハネ騎士団の1グループが住み着くが、長居はしなかった。1566年にはオスマン・トルコが占領するが、島の用途はなく、海賊の巣窟となった。1445年、アンコーナのキュリアコスが島を訪れ、ナクソス人が奉納した巨大なアポロ像に感銘を受けた。

デロス島の発掘は、1873年、フランス人の手で始められ、現在も続いている。

参考文献



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