アクロコリントスは、古代コリントス市のアクロポリスで、周囲を見渡すことの出来る山の上にある。標高は575メートル、頂上を囲む壁の長さは2000メートル近くに及ぶ。
古代のコリントス市には、ビザンツ時代以降の遺構が残っていないのに対し、アクロコリントスは要塞としてオスマントルコ時代まで機能し続けたため、より長い時代にわたる遺跡が存在している。上に写っているのはアクロコリントへの入り口部分にある壁と門。
 |
| コリントス遺跡から見たアクロコリントス |
<行き方>
コリントスからコリントス遺跡へのバスに乗り、コリントス遺跡の先の停車場(終点)で降車。そこからアクロコリントスの入り口までは歩くことになる。私たちはレンタカーを借りて行ったので、正確には分からないが、恐らく30分弱で到着するのではないかと思う。
入場料は無料(2008年現在)。私たちが訪れた夏には8:30から19:00まで開いていたが、冬の間はもっと短いかもしれない。
古代の遺跡としてはアフロディーテの神殿と、ペイレネの泉が残っている。古代のアクロコリントスを囲っていた壁は、紀元前二世紀にローマ軍がほとんど破壊してしまった。上に写っている壁はほとんどがヴェネツィア、フランク、トルコ時代のもの。
悪名高い第四次十字軍の際(この時代のギリシャの歴史についてはこちらを参照)、ギヨーム・ド・シャンプリットがアクロコリントスを三年(1205年から1208年)に渡って包囲。1208年、守備に当たっていたレオン・スグーロスが身を投げて命を絶った後も陥落せず、1210年、テオドロス・アンゲロスが、コリント教会の財宝とともにアルゴスに逃走してやっと、ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンとオト・ド・ラ・ロッシュの手に落ち、アカイア君主国の一部となった。その後、アクロコリントスの要塞は、十三世紀の半ばギヨーム・ド・ヴィルアルドゥアンにより、十四世紀の初めにジョヴァンニ・ディ・グラヴィーナによって補強された。
1358年、要塞は、ナポリのアンジュー宮廷から派遣されたフィレンツェ人ニッコロ・アッチャイウォーリの手に移り、1394年にはミストラスのデスポテス、テオドロス・パライオロゴスが占拠した。1400年から1404年までロードス騎士団に占領されたのを除けば、1458年オスマン・トルコに奪われるまでビザンツ側の手に留まった。1687年から1715年にはヴェネツィアが支配したが、その後再びオスマン・トルコの支配に戻った。
参照文献
- Robin Barbar, Greece (Blue Guide), London- N.Y. 2001 (Revised reprint of the 6th edition of 1995), p. 201-203.
- Christopher Mee & Antony Spawforth, Greece. An Oxford Archaeological Guide. Oxford/ OUP, 2001, p. 158-159.
- 現地で配布されている、考古遺跡収入局のリーフレット(Anastasia Koumousi著)
ページの最初に戻る