スーニオはポセイドン神殿で有名であるが、アテナイ人はここにアテナの神殿も建築した。建築年代は、ポセイドン神殿とほぼ終わり前五世紀の半ば。残念なことに、現在では基部しか残っていない。

上の写真は、聖域の入り口から神殿に向かって撮影したもの。右の写真は神殿の跡だけを撮影したもの。右側が神殿正面(東側)。ケッラの大きさは5.9m×3.8mで、四隅が正方形になるように配置された柱で支えられていた。
ウィトルウィウスは、南側と東側だけに列柱廊が設けられた、この神殿の特異なプランに関する記述を残している。

これは、アテナ神殿の後ろ側に置かれていた、ドーリア式の柱頭。
後一世紀、この神殿は解体され、アテネのアゴラの南東にある神殿建築に利用された。イオニア式の柱頭の一つがアッタロスのストア(=アゴラ博物館)に展示されている。

右と下に写っているのは、アテナ神殿の北側にあるもう一つの神殿の跡。ドーリア(ドーリス)式。英雄フロンティスに捧げられていたのではないかと考えられている。フロンティスは、ホメロスの『オデッセイ』の登場人物で、メネラオスの船で死んで、スーニオに葬られたと信じられていた。もう一つの説によれば、この神殿はアルテミスに捧げられたもので、その神殿の後ろにある円形の塚(下の写真で神殿の後ろに見える盛り上がった部分)がフロンティスの墓だという。
下の写真で真ん中ある灰色の石の上に神像が置かれていた。